今回は「無職や引きこもりの人は犯罪者予備軍なのか?」というテーマでブログ記事を書くよ~。
っていうか、最近は暗い記事ばっかり書いているな…。
現在の社会通念では「働いて自立している人」が普通の人(社会人)で、その普通の人(社会人)たちの理解が追いつかない、価値観が大きく異なるなど、いわゆる「マイノリティ」と呼ばれる人が、働かない人(無職や引きこもり、ニート)だ。
そして、「無職や引きこもりの人」を「犯罪者予備軍」として排除しようとする動きを、メディアを通して私達はこれまでに何度も目にしている。
「川崎市登戸通り魔事件」や「京都アニメーション放火殺人事件」の容疑者がどちらも無職の引きこもり男性だった事から、メディアが、さも「無職の引きこもりの人」が「犯罪者予備軍」であるかのような偏見を助長する報道をした。
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元臨床心理士としてハッキリ言う。
「無職や引きこもりの人」に対して「犯罪者予備軍」のレッテルを貼る事では、思考が曇ってしまう。
そんな曇りきった思考では、物事の本質を見極められるわけがない。人の覆い隠された「心の奥に潜む本質」を見抜いたりする事は出来ない。
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例えば普通の社会人で、もし、かなりの程度に精神が狂っていようとも、日常生活レベルでは殆どそれを感じさせないように振る舞えるのが、大多数だ。
むしろ、相当にアブノーマルな問題や欲望を抱えていようとも、それに見合っただけの異常さを漏れ出させずに生きて行ける能力が、人間には基本的に備わっている。
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つまり、「普通の社会人」と「無職や引きこもり」との間は、区別はあっても絶対的な違いと呼べる物はない。
精神科医や臨床心理士は、目の前にいる全ての人を、「心の奥に何かグロテスクなものを抱えているかも?」といった点で、同一ジャンルに属すると解釈している。
シロアリに食い荒らされてボロボロの状態となっている家でも、外側から眺めている限りは、普通の家に見えたりする。そこに住んでいる人も、自分の家が内側からボロボロの状態になっている事に気付けなかったりする。
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人間は、誰もが自分自身について不信感を抱いている。
自分としては「普通」と思っていても、それは輪郭だけの事で、実体(心)はシロアリに食い荒らされた「ボロボロの家」のような状態に近かったり、思いがけぬ所に破滅や破綻、不幸や悲惨さを願うベクトルが埋め込まれているような気がして不安になる。
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「心身ともに健康でありたいと願わない人はいない」
「誰もが幸せに生きて行きたいと思っている」
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そうだよね。
だけど、人は時として…
「死んだ方がよほど楽になるだろう」
その言葉を頭によぎらせて、ホームへ電車が進入して来る所をじっくり観察し、電車の前に身を躍らせる自分をシュミレーションする事もある。
果して電車に飛び込みたがるのは気の迷いに過ぎないのか、それとも本当に「死の欲動」があって、しかしそれがまだ十分に発芽していないだけなのか、分からない。
そのように疑ってみると、危うい芽が自分の内面にびっしりと植わっているような気がして、恐ろしくなる。
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ここまで読んでみて、どうだった?
もしかして、後味の悪い読後感に浸ってしまったかな?
暗い内容で、ごめんね~。