「なぜ生きなければならないのか?」
「なぜ死んではいけないのか?」
このような患者さんが発する生死に関する問いの言葉は、メンタルクリニックで臨床心理士として従事していた俺を苦しめた。
臨床心理士も精神科医も心の専門家のはずだけど、生死に関する問いを受け止めるだけの知識も覚悟も器も、本当は持っていない。
人間にとって、より不安や怒りがない状態こそ快楽であり、本来は常にその状態を求める傾向がある。しかし、あえて不安や怒りを高める方向に動こうとする時がある。それが死の欲動(破壊的な願望や死の願望)だ。
ハロウィーン当日の10月31日、20代の男性がバットマンの悪役「ジョーカー」の仮装をして、京王線の車内で無差別事件を起こした。それ以降、手口や動機に類似点がある事件が次々と発生している。
映画「ジョーカー」は誰もが思い当たるような感情(死の欲動)が繊細に描かれている。故に、映画の中で、都会で暮らしている孤独な男が悪のカリスマ「ジョーカー」へと変貌するプロセスに多くの人が共感するのだろう。
社会的弱者が批判され、格差が拡大して、「自己責任論」が盛んに展開された結果、「ジョーカー」に共感する人が増えたのか…?
貧困と格差を放置して自己責任論を展開する社会システムの欠陥が、「ジョーカー」を生み出した…?
それならば、早急にこの社会システムと構造を是正しないと…いや、もう今更何を言っても手遅れかもしれない…。