しだいにまた明らかに私の意識に希死念慮があらわれてくる。
希死念慮は私をあまりに遠くまで連れて行ってしまった。
もう戻れない。
希死念慮が私にとって残された命の最後の要求となったのか。
「人生を終わらせたい」
こんなこと。
まさかね。
医療スタッフにもお見舞いに来てくれる人にも言えない。
教会関係者と牧師先生が母と一緒にお見舞いに来てくれた。
牧師先生が私の為に神様にお祈りを捧げてくれた。
まったく嬉しくない。
まったく救われない。
なぜなら。
私はキリスト教を信じていないから。
キリスト教に嫌悪感を感じているから。
自分がクリスチャンだったら心は救われたと思う。
身体は痛くても心は癒されたと思う。
でも。
私は無理なんだ。
やっぱり私はキリスト教を信じることは出来ない。
神様の愛と救いよりも希死念慮の方に意識が向いてしまう。
誰にも一言も本音を話すことは出来なかった。
希死念慮は私だけが抱えているもの。
私だけのもの。
それは呼吸のごとく睡眠のごときもの。
身体の痛みを緩和させるために精神疾患の中にこっそりと入りこもうとしているのかも知れない。
希死念慮を抱くことが唯一の安らぎになっているかも知れない。
こんなことを考えながら希死念慮を抱いている自分が恐ろしい。
希死念慮に希望を見出そうとしている自分が恐ろしい。
このまま私の身体と心は死んでしまうのだろうか。
苦しいよ。
誰か助けて。
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