みなさんお疲れ様です。
今日も何とか一日が終わります。
心臓リハビリは辛いけど続けている内に少しずつ身体が回復してきているような気もします。
実際はどうなのか分からないけどね。
でも。
頑張ってポジティブに物事を解釈しないとすぐにネガティブ思考になってメンタルが落ちてしまうから。
必ず良くなるって信じて頑張ります。
では。
死の恐怖について続きを書きますね。
人間って誰もが生物の本能として死への恐怖心を持っていますよね。
健康に生きている時はその恐怖は抑圧されて意識されることは殆どない。
病気を宣告されたり事件や事故に巻き込まれた後にトラウマを抱えたりすると抑圧の機制が効かなくなって死の恐怖を強く意識するようになる。
死の恐怖を意識すると生のエネルギーが低下して生きる希望や生きる喜びの喪失に繋がっていく。
生きる希望や生きる喜びが喪失していくと今この瞬間を生きることに集中できなくなってネガティブなことばかり考えるようになる。
ネガティブなことばかり考えると更に死の恐怖を生々しく感じるようになる。
結局のところ人間の不安ってすべからく死への恐怖に還元することが出来ると思う。
不安は死への恐怖心に由来する。
死に対する恐怖心が人間の不安の根源にある。
ここでもっと具体的に死の恐怖について考えよう。
病気等で生のエネルギーが低下していくこと。
これまで健康だった時に出来たことが出来なくなること。
現在の幸福感や未来への期待感が喪失していくこと。
それらに対して諦め切れない気持ちや嘆きが死の恐怖に繋がって行くのかな。
うーん。
ここは上手く言葉で表現できない。
もしかすると私達が考えるよりもはるかに私達は死の恐怖によって支配されているのかも。
ちょっと待って。
人が死ぬって一体どういうことなの。
人は死んだことがないから死を具体的に想像することが出来ない。
死や死後の世界を具体的に想像することが出来ないけど死への恐怖心を抱いている。
これってどういう事なの。
もしかすると私達って死ぬのが怖いって言っている時。
本当は死そのものとは別のものを恐れているのかも。
たとえば見捨てられ不安とか。
死ぬことでこの世から見捨てられる。
この世界から追放される。
みんなから忘れられる。
死んだ後に裁きはあるのか。
死後の世界に天国や地獄はあるのか。
悪霊になって魂が永遠に彷徨い続けるのか。
真っ暗闇で怖い場所に押し込められてしまうのか。
このような事に恐怖心を強く感じるのかもね。
それから。
安楽死で死ぬなら安らかに永遠の眠りにつくことが出来るって解釈もあるけど。
でも。
そこにも死の恐怖による心の揺らぎがあると思う。
たとえば。
安楽死が合法化されたとして。
安楽死を決断して。
やっとこの生きる苦しみから解放されると思えた瞬間に人の心は揺らぐと思う。
諦め切れない生への執着とか無念さが押し寄せて来ると思う。
これが人が有する生への本能。
人って結局のところ。
どんなに絶望しても嘆いても幸せに生きることを諦め切れないんだろうね。
ややこしいね。
生への本能と死を恐れる本能。
更にここにフロイトの死への欲動をプラスするともっとややこしくなる。
ということで。
すいません。
色々と書き散らかしましたけど何も結論は出ないまま終わりにさせて下さい。
眠くなってしまいました。
とにかく今日も一日生きたこと。
自分で自分のことを褒めよう。
自分は良くやってるじゃん。
病気を抱えながら。
生きることに絶望したり。
死の恐怖心に脅えたり。
辛いけど。
苦しいけど。
でも。
今日も一日頑張ったじゃん。
頑張って生きたじゃん。
生き抜いたじゃん。
こうやって自分で自分を褒めてあげる。
明日も頑張ろうね。
無理しないで。
自分のペースで頑張ろうね。
こうやってポジティブに自分で自分を鼓舞する。
こんな感じで私は何とかまだ生きています。
それでは。
こんなぐだぐだなブログを最後まで読んでくれてありがとうございます。
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