一般的に人は「平穏で安寧に過ごしたい」と思っている。
でも、「怒りっぽい人」は、平穏なひと時を自らの怒りで破壊する。
これは何故なのか?
いくつか理由があると思う。
元々、そういう人は「短気で怒りっぽい性格だ」とか。
ただ、本来は穏やかな性格の人であっても、「怒りっぽくなる」時がある。
その理由として挙げられるのが「他人への期待値が高い」という事。
「他人への期待値が高い人」は、コミュニケーションにおいて、目の前の相手に次のような思い込みをもってしまう。
「自分がこのように考えているんだから、相手も当然そう考えているだろう」
「自分がこのような事を求めているんだから、相手も当然それを受け止めてくれるだろう」
こういう思い込みのことを心理学では、心の浸潤(しんじゅん)性という。
浸潤というのは、一般的には、「液体が少しずつしみ込んで濡れる」ことを意味する。
医学的には、「がん細胞などが組織内に侵入して広がって行く」ことを意味する。
そして、心理学的には、「思想や思考、感情や雰囲気などが、水がしみ込むような感じで次第に浸透して広がって行く」ことを意味する。
怒りっぽい人は、「心の浸潤性」が普通の人と比べて格段に高い傾向がある。
人はそれぞれ、色んな思考や感情を有している。
物事に対する「受け止め」や「解釈」は、一人ひとり当然異なる。
それなのに、「相手もこれぐらいの事は理解してくれるだろう」「相手もこれぐらいの事はするだろう」という思い込みが強ければ、相手とのコミュニケーションの中で、期待外れの連続となってしまう。
つまり…
心の浸潤性が高い
↓
他人への期待値が高くなる
↓
期待が裏切られる
↓
怒りっぽくなる
…という事になる。
逆に心の浸潤性が低い人は、「自分は自分、他人は他人」という感じで割り切ったり、「自分の課題と他人の課題」の分離が出来るので、他人への期待値が過剰に高くなる事はない。
故に、コミュニケーションの中で「期待を裏切られて怒りっぽくなる」という事は少ない。
それから、怒りっぽい人(心の浸潤性が高い人)は、自分の思考や感情を論理的に伝えるのが下手だったりする。
論理的な説明や明確な自己主張をしなくても、「相手から理解されたり」「相手に受け止めてもらう」ことを期待する。
そうなると、必然的に相手を思いやるコミュニケーションを取る事が出来なくて、相手を悲しませたりする。
でも、その事に気が付くことが出来ずに、自分が有する「相手に対する期待」が裏切られた事だけに焦点が置かれて、そして、一方的に相手に怒りをぶつけてしまう。
対策として、心の浸潤性が高すぎる人は、他人や周りの環境に対する期待値を下げると良い。
そして、割り切り思考(課題の分離)を意識する。
「自分の思考や感情」と「他人の思考や感情」が、100%合致する事は絶対にないんだから、コミュニケーションの中で発生する「相手と自分の価値観や解釈のズレ」を許容する。
あと、誰かに何かを期待する時は、明確に「あなたには、こういう事を期待している」と伝えて、論理的に「こういう風にしてほしい」と説明する練習をする。
同時に、相手が有する「自分への期待」にも目を向けるように心がける。
自分で自分のことを「怒りっぽい」と自覚している人は、まずは他人への期待値を下げてみる。
そして、人と言葉を交わす時は、「お互いの考えや気持ちを分かち合う事の出来るコミュニケーション」を意識して、「相手との価値観や解釈のズレを許容するマインド」で会話をすると、怒りから解放されると思う。
せっかく生きているんだから、「怒り」ではなく「笑顔」に、「責める」よりも「包容する」に、「疑う」より「信じる」に焦点を置いて、明るく楽しく生きて行きたいよね♪
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