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太宰治の文学は、フロイトの破滅願望を肯定しているのか?

 

古本で太宰治の本を買って読んでみた。

 

まぁ、正確に言うと、「太宰治の本」ではなく、「太宰治について解説する本」なんだけどね。

 

 

 

私たちは文学作品の中で、作者の視点や思考を垣間見ることが出来るけど、「作品がそのまま作者の本心を表しているわけではない」ということを、理解しなくてはいけない。

 

 

 

私は、太宰治が、自らの破滅を求める「フロイトの破滅願望」に共感していたと思い込んでいた。

 

でも、どうやら、それは違ったようだ。

 

 

 

太宰治は自らの生涯を通して、孤独や虚無感、病的な欲望といったテーマを扱っており、そのような心理的な状態について深く考察し、文学作品に反映させることで、恐らく多くの読者に共感を与えていたのだろう。

 

ゆえに、太宰治の文学作品には、彼自身の内面に対する探求や、人間の複雑な感情や欲望を描いたものが多くある。

 

 

 

太宰治が、「生と死」について具体的にどのような願望を持っていたかは、彼自身の言葉や作品を分析することで推測するしかない。

 

 

 

太宰治は自らの文学作品を通じて、生と死、孤独、愛、そして自己破壊など、多くのテーマを扱っており、だから、私は太宰治はフロイトの破滅願望に共感していると思い込んでいた。

 

しかし、太宰治の場合、自己破壊や死への願望を抱くことを「肯定するわけではなく、むしろ、自らの内面に向き合い、そこにある暗い感情や欲望と向き合い、それを表現することで、自分自身や他者と向き合うことの重要性」を文学作品で訴えていたのだろう。

 

 

 

例えば、太宰治の文学には、自己破壊的な行動をとる人物が登場するけど、それは彼らが社会や現実から逃げたり、自分自身の苦悩から解放されようとする行為であり、肯定的に描かれているわけではない。

 

また、太宰治の文学をしっかりと考察すると、死や自己破壊を肯定するわけではなく、むしろ自分自身や他者と向き合い、生きることの意味を模索することが大切だと訴えている。

 

 

 

これは個人的な感想だけど、太宰治の文学は、自己破壊や死を肯定することではなく、それらに正面から向き合い、内面にある葛藤や苦悩を表現することで、人間の本質や人生の意味を問いかける作品なんだと思う。

 

ゆえに、太宰治はフロイトの破滅願望に近いテーマを表現している部分はあるけど、それを肯定するわけではなく、むしろ否定的にとらえることが多かった、と思う…今日この頃です。

 

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