私の心臓は、考えられていたより重症との事、そして、手術は全身麻酔で行うとの事、医師から告げられた。
放心状態になってしまった自分の代わりに、ベリーショートの彼女が医師の言葉を丁寧にメモでまとめてくれた。
本当に彼女には、感謝をしている。
でも、もう何も希望は見出せない。
YouTubeのリスナー様、メンバーシップのメンバー様、ブログの読者様、申し訳ございませんが、もう私はネガティブな事しか書けません。
ポジティブに行こうと決意したばかりなのに、本当にごめんなさい。
手術の不安と死の恐怖で、正常な精神状態ではいられません。
っていうか、疲れた。
もうね、疲れた。
もう、嫌だよ。
不安と恐怖にまみれた、こんな人生。
だってさ、手術が無事に成功したとしても、今後もずっと、心臓に爆弾を抱えた状態で生きないといけないんだよ。
ずっと、死の恐怖を抱えた状態で生きるんだよ。
いつも、意識の中で、死の恐怖と闘って生きなくてはいけない。
なんだそれ。
そんな人生って、一体何なんだ。
ずっと、心臓に爆弾を抱えて生きるって、なんだよ、それ。
ずっと、不安と恐怖が意識に上がった状態で、死の恐怖と共に生きるって、どういうことだよ。
何なんだよ、そんな人生って。
粉々に砕けたガラスのような心臓で、あと何十年も、不安と恐怖に脅えながら、死の恐怖と闘って生きろって言うのか?
なんだよ…それ。
そんな人生を、これからも生きなくてはいけないなんて、無理だよ。
身体と心が、とてもじゃないけど、耐えられないよ。
こんな人生、もう生きる喜びなんて、何もないよ。
どうやら、反出生主義者が主張している事が、正しかったと認めるしかない。
こんな不安や恐怖に脅えながら、苦しんで生きるぐらいなら、生まれて来なければ良かった。
今、健康の中で普通に生きている人には、理解してもらえないかも…。
とにかく。
この痛みから逃げたい。
この苦しみから逃げたい。
手術の不安から逃げたい。
死の恐怖から逃げたい。
不安と恐怖に脅える生活から逃げたい。
人生で、初めて、本気で思った。
この命…もう惜しくない。
自分の命…自分で絶ってしまいたい。
もう人生を終わりにしたい。
もうダメだ。
もう耐えられない。
頭がクラクラする。
身体がだるい。
不安で息苦しい。
死の恐怖で胸が痛い。
眠れない。
手術が怖い。
全身麻酔が怖い。
手術が成功しても、常に心臓に爆弾を抱えながら生きるなんて嫌だ。
死の恐怖と共に生きるなんて、そんなの辛すぎる。
この苦しみから逃げたい。
解放されたい。
ベリーショートの彼女が、一生懸命に優しい言葉で気遣ってくれた。
もちろん、彼女の優しさには、心から感謝している。
でも、どんなに優しさあふれる、彼女の言葉も宙に消える。
誰のどんな言葉を、いくら聞いても、心が安らぐ事はない。
哀しみに追い込まれるだけ。
病気の宣告って、なんて残酷なんだ。
なんてむごいんだ。
医師の言葉は、鋭いナイフのように、心臓を突き刺して来た。
「現在のあなたの心臓の状態は…」
「手術は全身麻酔で…」
その言葉を聞いた瞬間、晴れ渡る青空の雲行きが一気に変わった。
せき込んだ薄暗い空を、心が麻痺した神経で仰ぎ見る私に、医師は氷の一言を言い放った。
「もし、手術をしないと、あなたの心臓は…」
ふざけるなよ。
なんで、そうなるんだよ。
どうして、こうなってしまったんだ。
ついこないだまで、普通に生きていたのに。
普通に仕事をして、普通に生活を送ること、出来ていたのに。
なんで、こうなった。
どうして、こうなってしまった。
死ぬまで心臓に爆弾を抱えて、常に不安や恐怖と共に生きるほど、強くはない。
死の恐怖と闘って生きるほど、強くはないんだよ。
だから、解放されたいんだ。
もう終わりにしたいんだ。
死にたいではない。
そうではない。
どんなに貧乏でも、健康的に生きる事ができるなら、生きていたいよ。
心臓に爆弾を抱えながら、不安と恐怖と共に生きるのが、もう耐えられないんだ。
死の恐怖と闘い続けながら生きるのが、もう嫌なんだ。
こんな精神状態で生きるのが、嫌なんだよ。
だから、死にたいというより、これ以上この苦しみを抱えながら、生きていたくないってこと。
不安と恐怖、痛みと疲労、絶望感と喪失感、虚無感と孤独感から、どうか、解放させてほしい。
希望をもって、健康的に自分の人生を生きるのと、絶望を抱えながら、医療によって生かされて生きるのでは、全く違う。
痛みと死の恐怖を背負って行く人生なのに、もうまともに仕事もできない、結婚もできない、何の希望もない、そんな人生なのに、医療によって生かされて、一体、何の意味があるっていうんだ。
嫌だよ。
こんな人生を生きるのなんて。
疲れた。
もう何も考えたくない。
この苦しみから逃げたい。
解放されたい。
人生を終わりにしたい。