今日の午後、1泊2日の検査入院に行ってきます。
病院に提出する同意書の件で、父親が昨日家に来てくれた。
冷たい表情だった。
「心臓病か…」
まるで、厄介者を見るような目で、吐き捨てるように言った。
その表情は「嫌気がさすような」と言い換えてもいい。
本来は自分の方から出向くべきなんだけど、身体がしんどいので、来てもらった。
わざわざ来てもらった事、同意書の家族欄に署名してもらった事については、もちろん感謝をしている。
だけどね…。
「基本的に自分でやれる事は、一人でやってくれ」って、氷のような冷たい表情で言葉を連ねる父親に、もうそれ以上何も求めるものはない。
必要最低限のコミュニケーションを取っただけで、終わった。
父親も、色々と大変な状況下で生きている事は、知っている。
だから、しょうがないよね。
きっと母親に相談していれば、優しい言葉掛けや気遣いを貰えたと思う。
だけど、相談はしなかった。
やっぱり、自分の中にあるキリスト教への拒絶感が強いんだろうな。
だから、援助を受けられると分かっていながらも、母親と義理の父親には相談できなかった。
小学校から繋がりがある友人にも、相談できなかった。
彼らは教会の青年会に所属しているから、もし相談したら母親に知られてしまうので。
大学時代の友人に対しても、相談できなかったなぁ~。
「心臓病」って言ったら、きっと「面倒臭い」って、思われるだけ。
まぁ~もともと、何かあった時にお互い助け合うような、そんな愛情深い関係性でもないしね。
ただ、どうしても、誰かの「優しさとぬくもり」がほしくて。
「誰に」話を聞いてもらいたい…ではなく、「誰が」話を聞いてくれるかな?…って思ったとき、ベリーショートの彼女の顔が頭に浮かんでしまった。
なぜ彼女なのか?
きっと彼女は、無条件で受け止めてくれるから?
いや、そうではない。
そういう動機付けではなかった。
複雑な感情…言葉でうまく表現できなくて、もどかしい…。
ヴィーガンの彼女には、心臓病のことなんて、こんな重たい話が出来る関係性は、まだ出来上がっていない。
ぱるるやあやめ先生にも、相談できるわけない。
なぜ?
もし拒絶されたら、傷つくから?
正直に本音を言うと、ベリーショートの彼女だったら、もし拒絶されても、そこまで傷つかないと思って…。
だから…。
なんて奴だ。
自分で自分のことが嫌になる。
最低だよね。
でも、ベリーショートの彼女は、真剣に話を聞いてくれて、心から心配してくれて、気遣ってくれた。
今日の午後、レンタカーで病院まで送ってくれるって、言ってくれた。
病院で必要なスリッパや寝巻、箸やスプーン、湯のみとか、全部準備してくれるって、言ってくれた。
なんか、ベリーショートの彼女の優しさが染みてくる…と同時に罪悪感も感じる。
彼女だったら、もし心臓病の事を伝えて、それでネガティブな反応をされても、精神的なダメージが少ないと思って連絡をした自分に、心の底から失望する。
彼女に対しては、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいだ…。
弱いままの自分の素顔。
彼女には、全部見せる事が出来ると思う。
振り返れば病気を宣告されるまで、気が付く事が出来ずにいた、見えなかった優しい手が、今ははっきりと見える。
彼女には、感謝してもし切れない。
検査入院の先に何が待っているのか。
どんな結果が待っているのか。
悪い予感や予兆としての恐怖と不安はいっそう激しくなる。
でも、彼女の優しさに触れる事で、立ち向かう勇気が湧いてきた。
死が恐ろしいのは、死に際に予測される激しい痛みと、死の先に何が待っているのかという恐怖のせいだ。
でも、その痛みや恐怖より、今は彼女の優しさが一番心に染みて来る。
なんとか、やれる。
なんとか、乗り切って行ける気がしてきた。
やっぱり、人を根本的に救えるのは、人の心なんだよね。
心は心を求めている。
もちろん、人が生きて行く為にはお金も必要だけど、でも、一番大切なのは心だよね。
どんな絶望的な状況でも、人の心は、誰かの心を求めている。
絶望ばかりしていないで、頑張ろうって思えてきた。
最近はネガティブな事ばっかり書いて、すいません。
これからは、ポジティブに行きます!
これからも、このブログを見守って頂けら、嬉しいです。
どうぞ、よろしくお願いします!
もし、ご支援を頂けるのなら、下記のリンクを経由してamazonか楽天で、何でも良いのでお買い物をして頂けると、当ブログに収益が発生しますので、よろしくお願いします。
【amazonリンク】
【楽天リンク】
下記のボタンを1日1回クリックして頂けると、にほんブログ村のランキングがアップしますので、よろしくお願いします。