キリスト教では、「性行為は結婚後に夫婦間においてのみ許される」とされている…と多くのクリスチャンは主張する。
でも、聖書は明確に「そんなこと」は言っていない。
アダムとエバは、神様が「絶対に食べるな!」と命じた「善悪を知る知識の木の実」を食べた。
ゆえに、全ての人間は罪人になってしまった。
そして、人は、「善悪を知る知識の木の実」を食べたからこそ、「善悪を区別する力」を得ることが出来た。
この善悪を区別する力は、人間の性欲や欲望をコントロールするために必要であるとされている。
つまり、本来のキリスト教の倫理観では、性欲や欲望は「悪」であるはず。
しかし、性欲を完全に「悪」と見なして、性行為を全て「禁止」にしてしまうと、人間は滅んでしまう。
だから、「性的欲求」を持つことや「性行為」を行うことは、人間にとって「必要」なことだけど「罪」でもあるという「ジレンマ」が、クリスチャンに引き起こされている、と思う…今日この頃です。
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