みなさん、お疲れ様です!
今日は2023年4月23日 日曜日だよ~♪
【12時00分】
今日は日差しが届いて、穏やかな空だね。
窓を全開にしたら、風が気持ちいい♪
でも、昼間は過ごしやすい体感だけど朝晩はヒンヤリしているので、みなさんも一日の体感差に注意してね~。
実は今日朝起きたら、何となく気分が優れないんだよなぁ~。
眠りが浅く、憂鬱な気分がしてる。
こんな日は、気持ちを強制的にポジティブに切り替えようとするのは難しいかも知れないんで、むしろネガティブマインドの自分自身に対して優しく接しよう。
自分のネガティブな気持ちを受け止めて、ゆっくりと解放することが大切かな。
ゆっくりと過ごすことを心がけて、少しずつ気持ちが晴れていくことを信じて、一歩ずつ前進しよう♪
【14時00分】
「キリスト教 VS エホバの証人」について書くよん。
※宗教に興味関心が無い人には、つまらないと思う…ごめんね。
●キリスト教徒の信仰
- 旧約聖書の律法は、イスラエル民族(ユダヤ人)の信仰実践において重視されるものであり、神様の御心ではあるが、律法に従うことによって全て救われるという考え方は否定している。
- 律法は、人間の罪の意識を喚起してくれて、神様の御心に向かって正しく生きるための指標として尊重するが、人間は完全に律法を守った行動を取ることは出来ないので、律法が「救いをもたらすものではない」としている。
- 人間は、旧約聖書の律法ではなく、信仰(神様の恵=イエス・キリストの十字架による贖罪と愛)によって救われる。
- 神様は、律法を知りながらも完全に守る事が出来ない人間(人間の罪)に、愛と許しを与えてくれる。
- 三位一体の教義(イエス・キリストは旧約聖書の神様でもある)を信じる。
●エホバの証人の信仰
- 律法に基づく正しい生き方を重視する。
- 律法の遵守が救いにつながる。
- 聖書にある律法の命令を忠実に守ることによって神の愛を示すことができる。
- イエス・キリストの十字架の死によって罪の問題が解決されたとする点については、キリスト教の主張に同意しているが、それでも律法の遵守が救いに不可欠であると考え、律法と信仰を両立させる。
- 三位一体の教義(イエス・キリストは旧約聖書の神様でもある)を否定している。
パウロは新約聖書で、「エホバの証人の信仰(律法の遵守が救い)を否定しているのか、どうか」について考えてみる。
キリスト教新約聖書における「パウロの律法に関する見解」は、律法を重要視するエホバの証人の信仰を、否定している…?
↓
パウロは、罪深い人間は行い(律法を守ること)によって救われることは出来ず、信仰(イエス・キリストの十字架による罪の贖いと、神様の愛と恵)によって救いが実現すると考えている。
↓
では、パウロは旧約聖書の律法を否定しているのか?
↓
そうではない。
パウロは律法の重要性を認識している。
↓
パウロの旧約聖書の律法に関する見解は以下の通り。
- 律法が人間の罪を明らかにし、罪深い存在であることを示してくれる。
- 律法が人間の罪を示す道徳的基準であり、神様の御心を伝える為に、重要な役割を果たしている。
↓
では、パウロは、エホバの証人と同様に律法を守ることを義としている……?
↓
そうではない。
パウロは、現実問題として人間は、誰も律法を完全に守ることが出来ないと主張している。
↓
結論!
パウロは律法を全て否定するわけではなく、むしろ律法の役割を認めているが、「人間は行い(律法)によって救われることは出来ず、救いは信仰(イエス・キリストの十字架による罪の贖いと、神様が与えてくれる愛と恵)によってもたらされる」と言うのが、パウロの結論。
【17時00分】
グラベルロードで、少しだけサイクリング♪
サイクリングは、体を動かしながら自然と触れ合うことができ、とてもリフレッシュできるので、お勧めですよ~♪
【20時00分】
宗教の中には、病院の精神科による薬物療法が「人間の自由意志を奪う可能性がある」と、指摘する団体もいるけど、そんなことを言ったら、宗教のマインドコントロールの方が「人間の自由意志を奪う可能性がある」と、病院の精神科も主張するだろうね。
人の心の苦しみを本当に癒すのは……?
宗教なのか?
それとも、精神科なのか?
どっちかな?
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