ミニマリストになるメリットは、不要な物を捨てることで、生活空間を整えること、心を整えること、そして必要最低限のもので生活することで、よりシンプルで自由な生活が送れることだと思う。
不要なモノを持っていると、それらを管理することに時間やエネルギーを費やす必要があるけど、モノを処分することによってそれらを減らして、より自由な時間やエネルギーを得ることが出来て、人生が充実する。
では不要なモノを処分するとき、どうすることが良いだろうか?
リサイクルショップやネット上のフリマアプリで売って、小銭を稼ぐのか?
それとも、ただゴミとして捨てるのか?
私には、心に留めることがある。そして、断言しよう!
不要なモノは「ゴミとして処分する」ことが、一番適切な方法であると。
なぜなら、不要なモノを処分するときに、リサイクルショップやフリマアプリで売ると、そこで得たお金でまた新しいモノを買ってしまい、「ミニマリストになれない」という問題が生じてしまうからだ。
しかし、ゴミとして処分することで、「新しいモノを買いたい」という気持ちを抑制することが出来て、その結果、必要最低限のモノだけを持つようになり、ミニマリストになることが出来る。
この考え方の根底にあるのは、消費社会において「所有する」ことが、「幸福感や価値観の象徴」であるという認識に疑問を投げかけることだ。
「何でも多くを所有していれば幸せになれる」という固定観念を払拭すれば、「自分にとって本当に必要なものだけを持つことで、精神的に豊かな生活を送ることが出来る」という考え方につながる。
自分の持っているモノの数を減らし、必要最低限のモノだけを持つようにすることで、モノの整理整頓がしやすくなり、生活空間が広くなると同時に、モノの管理も簡単になる。
また、必要最低限のモノだけを持つことで、選択肢が絞られるため、毎日の意思決定がシンプルになり、ストレスを感じずに過ごすことができるようになる。
不要なモノをリサイクルショップやメルカリで売却すると、一定の金銭が得られるため、つい次の買い物につながってしまうことがあるけど、ゴミとして処分することで、手持ちのモノを見直す機会となり、自分自身の消費行動に対する意識が高まる。
つまり、自分が所有するモノを「売る」のではなく、「捨てる」という行為をすると、自分自身に対する戒めとなると同時に、無意識のうちに「ストレス解消のために、買い物依存症のような状態に陥っている人」にとっては、自制心を養う良い機会にもなる。
故に、過剰なモノのストックを「売ってお金にする」のではなく、「ゴミとして手放す」ことで、自分自身の消費行動にブレーキをかけ、必要最低限のモノだけを所有することによって、よりシンプルで充実したミニマリスト生活を送ることができる。
さらに、自分自身が持つモノの価値を再認識することもでき、無駄遣いをせずに済むので、消費社会において常に「何かモノを買い求める」という「買い物バンザイ!」の状況から解放され、シンプルで自由なミニマリスト生活を送ることができる、と思う…今日この頃です。
※この考え方は逆説思考です。
モノを減らして、ミニマリストになりたいと思っても、モノを手放すときに「リサイクルショップやメルカリで売って、お金を得てしまう」と、新しいモノを購入したくなる。しかし、モノを手放すときに「ゴミとして捨てる」ことによって、新しいモノを「短絡的に買うことが出来ないマインド」を作り上げることが出来ます。
これが逆説的思考による行動変容となります。自分の欲望とは反対の行動をとることで目的を達成しようとするものです。この逆説的思考は、自分が陥っている悪い習慣を断ち切るためにも役立ちます。
例えば、ある人が常に「自分を責めてしまう」という思考回路を有していたとします。この場合、逆説的思考を用いると、「自分を責めることを禁止する」というルールを意識に上げることで、代わりに自分を褒めたり、認めるという風に、認知(自分に対する自己認識)を変えることも可能となります。自分自身を責めることが出来なくなるため、代わりに自分自身を認めることが出来るようになると言う事です。まぁ~そう簡単には行かないけどね…。
ミニマリストになりたいと思って、不要なモノを処分するときに、「リサイクルショップやフリマアプリで売る」ことにこだわると、結局はモノに執着する心が育まれて、モノを手放すマインドが持てずに、結局は、不要なモノを売って得ることが出来たお金で、新しいモノを購入してしまう危険性があります。
一方で、「ゴミとして処分することを選ぶ」ことで、モノに執着せずに手放す勇気を得ることが出来て、シンプルな生活環境を作ることが出来ます。不要なモノを「ゴミとして手放す」ことで、生活に必要なモノに焦点を置くことが出来て、それゆえ、ミニマリストの理想に近づくことが出来るのです。
このような逆説的思考は、自分が陥っている悪い習慣を断ち切るために、自分が望んでいる事と反対の言動や行動をとる事で、自分自身を意識的に変える事が出来るかも知れません。
逆説的思考は、ある種のパラドックスや矛盾を利用して、問題を捉え直したり、新しいアプローチを見つけ出したりする方法なので、もしかすると、「嫌いな人に対して、好きという感情を向ける」ことで、本当に好きになる可能性もあるってことです。
このような逆説的なアプローチを用いることで、自分の思考パターンを変えたり、新しい発想を生み出したりすることが出来るので、私は上手く使えば「新規開拓性や新規探索性に紐づくかな?」って思っています。
逆説的なアプローチで物事を認識すると、自分自身を驚かせたり、面白がったりすることも出来る…かな?
キリスト教を信じていない私が、神様を信じるという態度をとることで、自分自身を変えることが出来るかも知れない…?
つまり、本来は「こんな宗教なんか絶対に信じない!」と思っていたことを、信じることで、自分自身の見解や価値観を変えることができる可能性がある、と思う…今日この頃です。
※大切なお知らせ
これから暫くの間、キリスト教の信徒訓練講座を受講する為に、ブログの更新が滞りますことをお詫び申し上げます。
必ずや復活いたします。
私のブログを応援してくれている読者様に、再びお目にかかる日を心待ちにしております。
その時まで、どうか、お待ちいただければ幸いに存じます。
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