臨床心理士は、メンタルクリニックで毎日患者さんと対面をしている。
患者さんが心の苦しみを抱えて、それを話してくれるのに対し、臨床心理士は応答をする。
そんな時、「この患者さんは、臨床心理士から今まで聞いた事もない言葉掛けを待っているんだろうな」と言うような事を考える臨床心理士もいるだろう。
だからと言って、奇を衒う必要はない。
患者さんの話を傾聴して、共感して、「それは辛かったでしたね」「それは大変でしたね」という言葉を自然と発するならば、患者さんが過去に何度も、メンタルクリニックで精神科医や臨床心理士から繰り返し聞いた言葉であっても、それは、それで良いと思う。
患者さんの多くは、精神科医や臨床心理士の前に座るまでに、たいていは多くの人から意見(偏見)を聞かされ、小言を言われてきている。
「しっかりしなさい」
「甘えてるんじゃない」
「うつ病なんて心が弱い人の言い訳だ」
これらの言葉は、まだまだ、家庭や学校、職場においても、誰にでも言われそうな言葉である。
少し怠けたり、やる気をそがれた人に対して、「甘えるな!」「怠けるな!」と喝を入れることで調子を取り戻させる手法は、「うつ病」という言葉が社会に浸透していなかった時代には、当たり前の言葉掛けだったと思う。
しかしそれ(「甘えるな!」と渇を入れることで調子を取り戻させる手法)がきかなくなるのが、メンタル疾患の始まりであり、特徴なのだ。
さんざん「甘えだ」「怠けだ」と家族や職場の上司から言われ、患者さんも自分に同様の言葉を言い聞かせ、ますます具合の悪さをこじらせて行く。
そして、患者さんは、自分でも「何か心がおかしい事になっている」「調子が悪いというレベルではないぐらいに心が苦しい」と気がつく。
それでも「甘えだ!」「怠けだ!」と言ってのける人に、「どうして私の心の苦しみを分かってくれないの!」と絶望的な気持ちになり、同時に深く心が傷つく。
そして、患者さんは深く自分の気持ちを分かってくれそうな人(精神科医や臨床心理士)の意見を必要と感じて、メンタルクリニックに来る。
患者さんにとって、臨床心理士とは、「甘えだ!」「怠けだ!」とは絶対に言わない、話を共感しながら聴いてくれる「安全基地」のような存在であるべきだと思う。
「共感的理解」に基づく傾聴をしてくれる臨床心理士に対して、患者さんは、この人だったら自分の内側で起きている未知なる心の苦しみについて、優しく寄り添ってくれて、一緒に付き合ってくれて、解決への道を探ってくれそうだと期待する。
臨床心理士から「周囲のみんなから分かってもらえなくて、辛かったんだね」と言われて、患者さんは不意を打たれた気持ちになって、場合によっては、涙が零れ落ちるかも知れない。
どんな時でも、臨床心理士は徹底的に患者さんの心に寄り添って、受け止める存在でありたい。
このマインドが持てない人は、臨床心理士としてメンタルクリニックで心理職に従事するべきではない、と思う。
患者さんが聞き飽きた言葉以外の言葉をかけよう、という試みなんて、そんな事を臨床心理士は考える必要はない。
必要なのは、患者さんとともに不可知の傷ついた心の海を一緒に漂うこと。
診断や薬の処方は精神科医がやるべき仕事で、臨床心理士は、患者さんの心を癒すことに全力を注げば良い。
患者さんの心を癒す事こそが、臨床心理士の一番大切な仕事なのだから。
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