多様性や同性愛に対する社会の受容は、キリスト教と聖書の歴史や伝統に、一体どんな影響を与える事になるのか?
これからの社会は、多様性が社会に、どんどん受け入れられるようになって行くだろうね。
そして、マイノリティだったものがマジョリティになっていく。
クリスチャンにとって、多様性が尊重される社会は、とても素晴らしい…のかな?
リベラルのクリスチャンにとっては素晴らしいと思うけど、保守的なクリスチャンにとっては、それは、苦しいものになるかも知れない。
現代は多様な意見や価値観が存在し、それらが自由に表現できることが望ましいとされているけど、「多様性を否定する意見」は、認められない空気感があるような気がする。
多様性を否定することは、今の価値観(人の尊厳や平等な権利)を侵害することにつながると思われているため、現代社会では許容されるべきではない、という論調によって、「多様性に異を唱える自由」は消えて行く…ゆえに、マイノリティだったものが、大きな力を有するマジョリティになるような気がする。
保守的なクリスチャンにとって、多様性や同性愛に対する社会の受容は、聖書の歴史や伝統が壊される危機感を感じることに、つながるかも知れない。
多様性の社会や同性愛が「当たり前」になった場合、保守的なクリスチャンは、きっと、自分たちの信仰と社会的価値観との間に「対立や矛盾」を感じることになるだろうね。
聖書の歴史や伝統は、キリスト教の信仰の根幹をなすものだから、「多様性の社会と同性愛を許容するべき」という社会的な圧力を受けたとしても、保守的なクリスチャンにとって、聖書の根本的な部分(神様は男と女を創造したのだから、結婚とは男と女でなすべき)に対する変化を受け入れるのは難しいと思う。
だから、多様性や同性愛が「当たり前の社会」になったときには、保守的なクリスチャンは、自分たちの信仰と社会的価値観との間でバランスを見出すことに苦労するだろう、と思う…今日この頃です。
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