※この記事は自分の自分による自分の為の、備忘録記事です。
「受けるより与える方が幸いである」は本当なのか?
「人に何かを与える行動」は、誰かに「ハッピー」を与えることで自分自身も「ハッピー」になるという論理。
この考え方は、キリスト教においても重視され、キリスト教国では社会的な価値観の一つとしても広く受け入れられている。
だけど、この言葉が常に真実であるというわけではない…だからこそ、キリスト教国では「争い」や「戦争」が絶えない。
「与える行為」のマイナス面
プラス面を語るより先に、マイナス面を語っておく。
過度に自分自身を犠牲にして他人に尽くすことは、心身の健康を損なう危険性がある。
時と場合によっては、他人に与えるよりも、自分を優先させて自己実現や自己表現の為に、自分自身に時間やお金、エネルギーを注ぐことが必要かもしれない。
但し、自分自身に時間やお金、エネルギーを注ぐことで、「達成感」や「自己実現」によるポジティブな感情を感じることは出来るが、どれだけの幸福感を感じることが出来るのだろうか?
考え中……。
「与える行為」のプラス面
「与える行為で幸福感を感じることが出来る」と言われる理由は、人間の基本的な心理に基づいている。
人間は「ポジティブ(笑顔)な社会的つながり」に喜びを感じる生き物である。
人間は社会的な生き物であるがゆえに、どんなに「孤独が好き」と言ってのける人であっても、深層心理では、他人とのポジティブな関係性や親密なつながりを求める傾向がある。
他人に何か与えることで、相手を笑顔にして喜ばせたり、相手から感謝の言葉掛けを聞くことで、他人(自分以外の存在)との親密なつながりやポジティブな関係性を深めることが出来て、それが、人間の根源的な幸福感につながる、と思う。
根源的な幸せ……?
「人に与える行為」によって人は、「人から受け取る」よりも、喜びや満足感を感じることが出来る。
それによって、ストレスを軽減したり、抑鬱症状を緩和してくれる、と思う。
根拠は……考え中。
「与えない」から貧乏人は更に不幸になる?
貧乏だからといって、必ずしも「与える行為」ができないわけではない。
他人に「与える行為」は、金銭的なものだけでなく、思いやりや優しさを与えることも含まれる。
お金や具体的なものを与えることが出来なければ、思いやりや優しさを与えれば良い。
しかし、貧乏であるがゆえに、「与える幸せ」より「受け取る幸せ」に焦点が置かれているので、思いやりも優しさも与えることが出来ない…それゆえ、幸せになれない……?
とりあえず、ここで終わり~♪
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