Laugh & be happy

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ゆきみんさんのVoicy「お金のために働くのをやめました」を聴いて、臨床心理士が感じたことを少しだけ語ります。

 

いやぁ~今日は、まだ五月とは思えない暑さだったね。

 

ほんと、季節を先取りするような一日だったなぁ~。

 

 

 

なんか、時の進行の速さに、どこか心が追いつかないよ。

 

過ぎ去る日々に淡い切なさが込み上げて来て、時の流れに同化できず、ただただ漂って行くような感じ。

 

何故か、胸には淡い切なさが込み上げる。

 

この寂しさは、果たして何なのだろう……。

 

 

 

なんとも言い難い、もやもやとした感情が胸を覆う。

 

それは、過ぎ去った時間や逸した瞬間への切なる想いが交錯する一端なのかもしれない。

 

失われた自分の若さ(過去)と不安(未来)も交錯する。

 

 

 

早まる季節が招来する寂寥は、まるで遠い昔の断片が絡みつき、幻想のような昔日の風景を思い起こし、自分自身との対峙を強いる。

 

夏の訪れと共に押し寄せる切なさは、まるで遠い記憶の欠片が渦巻き、時の流れと共に凝り固まっていく。

 

未来への不安がため息とともに重く立ち込め、胸に寄り添う短い刹那の余韻が、ますます切なさを増す。

 

 

 

未来への不安……。

 

 

 

あぁ…未来へ不安を抱えて生きていると、心が潰されそうだ。

 

涙が出ちゃう。

 

だって、無職だもん。

 

 

 

ということで、ゆきみんさんのVoicy「お金のために働くのをやめました」を聴いて、感じたことを少しだけ語ります。

 

みなさん、有料化される前に、ちゃんと聴いて下さいね。

 

ゆきみんさんのVoicyからは、「多くの学びと気付き」を得ることが出来ますよ~♪

 

 

ゆきみんさんの主張には、確かに理解できる点がある。

 

「お金のために働くこと」に疑問を感じ、内心で共鳴する部分もある。

 

だけど、高尚な志(社会にあいている穴を埋める)と社会や他者への貢献、社会参加の役割を追求することの重要性を知りながらも、現実的な制約の中で、多くの人々が「生活費を賄うために働かざるを得ない状況」に置かれているわけで、その息苦しさ、縛られた感覚は、現代社会の特有なるものだと思う。

 

そして、そこには、ものすごい複雑な心情が交錯する。

 

 

 

自分自身がお金を得る為だけでなく、「社会や他者のために働く高い志」を抱きながらも、現実の厳しさに直面し、私たちの多くは「お金のために働くこと」を余儀なくされている。

 

このような状況下で、ゆきみんさんの音声配信「お金のために働くのをやめました」を聴くと、「反発心のような感情が湧き上がってしまう」と思う…今日この頃。

 

素直に納得することができず、葛藤が生じる。

 

 

 

ゆきみんさんの言葉に対して、素直に心を開くことができない苦しさを、「食べるために労働をしなくてはならない人たち」は抱えている。

 

この苦しみは、労働の本質的な難しさとも言える。

 

個々の人々は、生計を立てるために働き、経済的に自立した社会人として生きなくてはならない。

 

そのため、多くの人にとって、労働は煩わしいものとして感じられるのだろう。

 

そして、労働の背後には、辛い仕事を生活費を賄うために継続しなくてはならない苦悩と忍耐、お金に対する欲望や高揚感、社会的な評価への渇望と挫折が絡み合い、人間の心を苦しめるんだと思う。

 

 

 

「生活費を稼いで、生計を立てるために働くこと」と、「社会的な役割や高い志、そして他者への貢献の追求」を両立させることは容易ではない。

 

現実の制約や生計を立てる必要性が、私をお金の追求に追いやるから、その結果、ゆきみんさんの音声配信「お金のために働くのをやめました」を聴くと、心に迷いや葛藤、そして虚無感や喪失感が生じ、私の苦しさが広がっていくのだと思う。

 

 

 

私たちは労働を通じて、自己の存在価値や社会への貢献を模索している。

 

しかし、現実は、その模索がなかなか叶わない苦悩に満ちている。

 

「働かないと食べてはいけない…だから、どんな仕事でも良いから働くしかない」というモチベーションで働く苦しみは、時に絶望的なものとして私たちを襲い、自己を見失いかねない。

 

だからこそ、私たちは自分と向き合い、「働くとは?」「何の為に仕事をする?」「人生とは?」を考えて行かなくてはならない。

 

 

 

自分の好きな仕事に携わり、やりがいを感じながら他者に貢献し、かつ生計を立てることができたならば、どれほどの幸福感で心を満たすことが出来るのだろうか……。

 

その中で自己の成長ややりがいを見出し、同時に他者に対しても意義深い貢献を果たす、そんな理想的な状況に身を置けたならば、人生はとても幸せに満ちるだろうね。

 

 

 

人は本来、自身が情熱を注げる仕事に従事し、自らの才能や魂の躍動を実現することを求めるもの。

 

心の底からやりがいを感じ、没頭できる仕事に従事することで、私たちは自己の存在を実感し、自己実現への道を歩んで行ける。

 

そして、その仕事が他者への貢献に繋がるならば、喜びや意味の深さは何倍にも膨らむ。

 

 

 

自らの才能や努力を通じて、人々の心に寄り添い、喜びや感動を与えることができる。

 

そのような貢献が社会や人間関係において果たされるとき、私たちはより豊かな絆と共感を築き、人間としての尊厳を実感することができる。

 

また、その仕事によって生計を立てることができるならば、物質的な安心も得られるので、生活の安定が確保され、経済的な不安から自由になることで、心に余裕や自由な発想の余地が生まれる。

 

自分自身や周囲の人々との関わりを豊かにし、人生をより充実させることができる。

 

でも……。

 

※続く。

 

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