世界中のクリスチャンたちは、旧約聖書『レビ記』によって同性愛が禁じられていることは十分に理解し、その御言葉を深く胸に刻んでいる。
しかし、人間は自由に幸福を求めるという熱望も胸に秘めている。
世界中の多くのクリスチャンは、自由な鳥として舞い踊りたいと願っているが、キリスト教の伝統の鎖に繋がれている。
しかし、幸福を求めるためにその鎖を断ち切り、一部のクリスチャンたちは自己の幸福や成就のために、聖書が禁じる同性愛の実践に身を委ねている。
その中でも代表的な存在が、キリスト教リベラルだ。
キリスト教リベラルは、キリスト教の伝統的な教義や聖書の解釈を柔軟にとらえ、現代社会の文脈や人権の視点から、同性愛や性的マイノリティの権利と平等をより包括的に考える傾向がある。
彼らは、個々の信仰体験や倫理観に基づき、同性愛や同性婚を包括的に認める立場をとり、聖書の伝統的な教えを、現代の視点から「より解釈」しようとする。
人が自分の幸福を重視することが、必ずしも神様や聖書の教えを軽んじることを意味するわけではないが、「伝統的なキリスト教信仰」と「個々の幸福追求」を調和させることは容易ではなく、キリスト教リベラルの主張や聖書の解釈は、何千年も続いてきたキリスト教の教義に変化をもたらす可能性をはらんでいる。
また、キリスト教リベラルの主張や聖書の解釈は、長い歴史の中で築かれた「キリスト教の常識」にゆがみを与える危険性も有している。
これは、「自己の幸福追求」を重んじるが、「神様の意思(旧約聖書レビ記)」を無視することはできない「骨の折れる課題」である、と思う…今日この頃です。
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