最近、ある悲しいニュースを耳にした。
「生後間もない女児を抱きかかえた女性」が、電車に飛び込んで命を絶ったというもの。
6日午後7時50分ごろ、大阪府島本町広瀬のJR東海道線百山踏切で敦賀発大阪行き特急電車「サンダーバード40号」(12両編成)が線路内に立ち入った女性と女児と接触する事故があった。
女児は生後間もないとみられ、2人とも現場で死亡が確認された。
大阪府警高槻署は2人を近くに住む親子とみて身元の確認を進めている。
同署によると、踏切周辺のカメラには女児を抱いた女性が遮断機の下をくぐって線路に立ち入り、立ち止まる様子が写っていた。
「この親子が可哀そう」…という言葉が頭から離れない。
母親が抱えていた苦しみや絶望、そして最終的な選択に至るまでの葛藤を想像するだけで、心が痛む。
親子の間には、特別な絆があると思う。
母親は子供を愛し、子供は母親の愛を求める。
だけど、このような悲劇のニュースに接すると、その愛がどのように変質してしまったのかを考えずにはいられない。
この母親が、子供と一緒に自らの命を絶つという極限の選択をした理由は、きっと心の深い傷や経済的な困難が関与していたのだと思う。
絶望に打ちひしがれていたのは間違いない。
その中には、愛する娘に対する深い悲しみや無力感があったことも想像できる。
しかし、この母親が孤独で迷い、支えを求めた時、「周りにはどれだけの助け」があったのだろうか?
そして、もうひとつの問いかけ…
「福祉がなぜ、この親子を救えなかったのか?」
…という問いに私たちは直面しなければならない。
この母親が自らの命を絶つ前に、彼女や彼女の子供を支えるための手助けがなかったのだろうか?
社会は、この親子に「どれだけのサポート」を提供することが出来たのだろうか?
この母親が経験した苦しみや悲劇を考えると、本当に切なくなる。
彼女がどれほどの孤独や苦悩の中にあったのか…。
一人で抱え込む事がどれほど辛かったのか…。
想像をすればする程、悲しくなる。
まるで暴風雨に全身が打ちのめされるような、激しい痛みを感じる。
「誰も助けてはくれない」
「もう子供と一緒に命を絶つしかない」
彼女の悲痛な叫びは、まるで永遠の夜に刻まれた絶望のように暗く深く、一筋の光も届かないように感じる。
絶望に打ちひしがれている人が、もっと気軽に相談できる行政窓口があれば…
「この親子の命を救えたのかも知れない」
…と思う、今日この頃。
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