今、新型コロナウイルス対策の切り札と言われているのがワクチンだ。
日本でも全体の接種率の底上げが期待されているが、一方で、世界では「ワクチンデマ」や「ワクチン差別」とも言えるような事態が発生している。
「ワクチンを接種する人」と「ワクチンを接種しない人」の間で溝が見え始めている。
それに拍車をかけているのが政府だ。
仏 カフェでワクチンパスポートの提示が義務化 ・・・
ニューヨーク市 レストラン ワクチン証明 提示義務化へ
米入国の外国人にワクチン接種義務化検討
フランス ワクチン証明義務化に抗議デモ 違反客に罰金1万8000円
世界では、接種しない人を否定する「ワクチン差別」とも言えるような事態が起きている。
加藤勝信官房長官は29日午後の記者会見で、米グーグルなどがオフィスに出勤する従業員にワクチン接種を義務づける方針を示したことに関し、一般論として「国内で職場や周りの方などに接種を強制したり、接種を受けていないことを理由に職場で差別的な扱いをすることは許されない」と述べた。
ワクチンを接種すると、「もうコロナに感染して自分は死ぬ事はない」と思うだけで、その人の心の中にワクチン・バンザイ!(精神的なパラダイムシフト)が起きるのだろう。
まるで、それは、ワクチン接種前の世界は「紀元前」で、接種後は「紀元後」にワープしたような感覚なのかな?
しかし、ワクチン・バンザイ!の人々の中でも分断が発生する。
ワクチンによる社会の分断は、「接種した人」と「接種していない人」の間だけではなく、「接種をした人同士」の中でも発生する。
ワクチン接種後も、ソーシャルディスタンスをとるか、とらないか、マスクを着用するか、しないかなど、「ここまでの行動は安心、ここからは危険」というレベルが個人によって異なる。
つまり、職場や学校、家族や友人の間でも、個々の「安心」や「危険」のレベルが違う。故に、亀裂や葛藤がミクロのレベルで発生してしまうと言う事だ。
ワクチンに関する様々なきしみや葛藤、我々は同じ職場や学校、そして家庭の中で、はたして共存していけるのか?