サービス業において、「もし自分がサービスを受ける立場だったらこうして欲しい」と考えてサービスを提供するのは、基本中の基本である。
塾もサービス業だからね。「もし自分が生徒で授業を受ける立場だったら、どんな授業を受けたいのか」を現役塾講師として常に考えている。
ではメンタルクリニックでは、どうだろうか?
「臨床心理士から心理療法を受けるんだったら、自分はこうして欲しい」
実はこのロジック(自分がサービスを受ける立場だったらこうして欲しい)をメンタルの世界に当てはめようとすると、複雑な話になってしまう。
臨床心理士が目の前の患者さんに同一化し、常に自分だったらそう扱って欲しいような仕方でその患者さんを扱うことは、難しい。
「もし自分が患者だったら、臨床心理士や精神科医からこう扱って欲しいという願望があるけど、それは多少人とは違う」という自覚があればなおさらだ。
「もし自分が患者だったら臨床心理士から洞察的よりも、支持的に扱ってもらいたい。更に、それが自分の為にならないという事も分かっていても、無条件に耳を傾けてもらって、優しい言葉や甘い解釈を用いて治療して欲しいと思う」
しかし、心は揺れ動く…。
「確かに支持的に接して欲しい。でも実は厳しい直面化や解釈が必要だという事も分かっている…」つまり、これは言い換えるなら、「本当は支持的なだけでなく、臨床心理士から洞察的にも扱って欲しい」となる。
患者さんは臨床心理士から「支持的に接して欲しいという気持ち」と「洞察的に接して欲しいという気持ち」の双方を併せ持つものだ、と思う。
そしてそもそも「自分が患者の立場だったら、臨床心理士から何をして欲しいと思うか?」という思考は重層的だという事にもなる。最初に「こうして欲しいだろうな」という考えが浮かんでも、すぐ次の瞬間には「でもこうしても欲しいな」という考えも浮かぶ。
複雑だよね。
自分の心が重層的であるからこそ、相手の立場に立ったときの思考も重層的になる。だから、「自分が患者の立場だったら、臨床心理士から何をして欲しいと思うか?」に対する答えは決して単純では有り得ないという事だ。
「自分が患者の立場だったら臨床心理士から何をして欲しいと思うか?」に対して最初に浮かぶのが、「優しく、寄り添うように、黙って話を聞いていて欲しい」という気持ちであれば、やはり臨床心理士はとにかく「黙って聞いている」事からはじめるべきだ。そして、ようやく患者さんの心にある「次の層」が見えてくる事になる。
最初に寄り添う事が出来ない臨床心理士は、永遠に「患者さんの次の層」を見る事が出来ない。